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ユーザー投稿  谷村新司様へーーー「38年目の昴」北京ライブコンサートの感想文

Posted on  by 李竹 / No Comment


彼はあの優雅な椅子から、立ち上がった。
化粧はバランスよく整っている。櫛で片側に揃えた銀色の髪は、柔らかな鵞鳥の毛のように彼のふっくらした額に満ち溢れ、光が彼を照らしている。
彼は黒いコートに、襟元が立ってる白いシャツ、ワインカラーのベストをまとい、ベストの色は優れた馬も持っていないいい色で、金色の鎧の光を輝いている。
谷村先生は全身エネルギーが満ち溢れていて、体のパワーが少しずつ光のように周りへ発していて、舞台裏から足を踏み出した瞬間、彼が光そのものになる。
彼は感動の力が時々炎のように燃えあがってきて彼を包むことを知っている。しかし、彼はその力をコントロールする。歌手であり、音楽や歌で自らを表現する音楽家である。

先生は出演する6時間前に起きて、一日中何も食べないことにしている。
彼は普段着で公演の時と同じように舞台でリハーサルする。歌、舞台での動き、体の表現を、ひとつひとつ納得できるまで練習する。先生は100パーセントの自分完璧に表現したいのである。なぜなら、舞台の下の観客席で数千人の観衆が期待しているから。
皆、先生の体力を心配している。でも、先生は行けると分かっている。しわはただ顔に宿っているだけである。
彼の声は依然としてパワーが強いのである。歌一曲一曲の感情や境地を全て心に記憶し、いったん舞台に立ったら、彼は歌の情緒に融けこんでいく。プロの舞踏家や演劇家のように、どの角度から見ても、完璧で人々の心を打つ。誰にも舞台での過ちをひとつも捕られることはない。
飽きることはありません。
彼はあらゆるものを覚えている。あの星空、あの桜、あのビーチ、あの朝の光景、あの夕焼け…、彼を感動させた物に、永遠に飽きることはないのである。どれだけ歌っても、彼は新しい感情を表現できる。
そう。谷村先生はもう年をとった。しかし、彼は依然として新しい感情を生み出している。彼はこれらの新しいものを分かっていて、外へ伝えていくつもりである。


舞台では、ふんわりとした青色のライトがミュジシャンと彼らの太鼓、ピアノ、ギターを照らし覆っていた。優しく奏られてきた音楽もこの光線の包みを突きぬかないのようです。
数えきれない目が舞台の一方に向かって集中し、観客が谷村先生の出場を待っている。
先生が微笑みながら入場してきた。彼の目と歯の輝きは、舞台の下で見上げているひとつひとつの顔を照らしている。
彼は軽やかに舞台に上がり、身のこなしも上品である。正真正銘な魂の歌手と言える。
きらきらと輝く光の様に、青色の優しい光で包まれた空間の中をかき回し、舞台で人々の目を奪う唯一の光となった。
みんなが先生を見つめていて、まるで先生の体の中に神様が宿っているみたいだ。音楽と出会った瞬間に、出現する神様と言える。

先生のことが好きな方々の目から見れば、当然先生が偉大な人物である。
そうだけではない。ファンのみんなは先生の卓越非凡なところだけで先生のことを好きになったわけではない。卓越非凡なところよりも、先生の平凡さの部分に心が打たれたかもしれない。
先生のあらゆる偉大性は人間の力と神様の奇跡の共同によって合成されつくれられているところに有る。
先生は言うまでもなく天才である。しかし、先生は天才でありながら怠る事をしらない。
少年時代に古いギターに手を触れた瞬間から、夢中になり卓越した音楽の道が始まったのである。
音楽の専門であるわけでもなく、最初から特に音楽に興味を持っていたわけではなく。初めはただ自分がもっとかっこよく見せるため、女の子に好まれるために父の友人から安い値段で買ってきた中古ギターを抱いていたのである。
「私に売ってください。お願いします。」とお父さんの友人に言った。

その古いギターを抱いた時、彼自身もそれが何を意味するか分かっていない。
その道の先生に習うこともなく、彼がひとりで部屋に閉じこもり、買ってきたレコードに向かい合い、一節一節の音を確認しながらギターを弾いた。苦に思うこともなく、夢中になり、毎日四、五時間練習した。
両親はそれが男の子の気まぐれだと思い、気に留めなかった。さらには、彼の肩を叩いて、根性があるわねと声をかけることすらなかった。
もしかしたら、本当に男の気まぐれに見えていたかもしれない。
詩を書き、ギターを弾き、バンドを組んで、汽車であちこちコンサートをしに行った。まるでストリートミュジシャンのように、北アメリカを横断し、様々な野外ライブで、アマチュアバンドとして出演した。
かっこよくて充実な青春歳月だったなと想像できる。

でも、情熱だけでは足りません。彼に恵まれている唯一なタレントがある。
これは先生の声である。先生の優しくさわやかに響く鳥のなく声のような音を聞くと、春風を浴びたような感じだ。
彼の声、彼のメロディー、平凡な生活に多彩な色を与える。
干ばつの大地に雨が降った後に、草が蘇え、花が咲き、鳥が鳴いているようにいい気持ちを与える。
彼はもう70歳近いで、少年時代から今までの何十年の間に、先生は歌い続けていて、音楽から離れたことはない。
先生の声にも、ささやかな変化が生まれていて、時期により独特な質を持ってる。香水、水、酒が異なる段階で違う味が湧いてくるようである。

先生は生まれながらのイケメンではないが、目には優しさが満ち溢れ、眉毛を顰める時も顔には優しさが見えてくる。
先生はおしゃれが好きで、若いころ、様々なジュンーズ帽子を被り、白い服装にワイトゴルドーのネクレッスをした。平凡な外見の下には豊かで敏感な心である。
透明ガラスのカップが倒れて、水がこぼしてくれたことに先生が水の自由なところが発見した。水は自分の形を覚えていないんだと先生が感心した。水が先生に自由の力を与えたようだ。

先生の作品は人生の味わい深さや哲学にあふれ、淡い感傷と詩的な情緒がある。
「昴」では夢を追いかけてる人が、星空の下で、一人で歩みだしたときの感傷、決意、人生の気迫を表現している。
「チャンピオン」では挫けない心や失敗に対する寛容さを表現している。
「それぞれの秋」は人生への思いや心配、時が流れることへの懐古、亡くなった友達への思いでー夢、後にした夏、やってくるそれぞれの秋を表現している。
当然彼の作品すべてが傑作というわけではない。七百余りの作品の中には誰でも作られる平凡な作品もたくさんあった。
だからこそ、彼は考え、学び、変化を求め続ける。
先生は様々な形で曲の演出をしている。「昴」をギターを弾きながら歌ったことがあり、交響楽楽団の演奏に合わせて歌ったことがある。さらには、人々が行きかうインドのガンジス川の岸辺で歌ったこともあり、金色の袴を着て森の奥に座わって歌ったこともある。

新しい流行、時代の変遷を受けて、先生はいろいろ考えた。バラエティー番組に参加したり、司会をやったり、講座を開いたり、彼は様々な活動をし、自分の生活を充実させてきた。好奇心と平穏心を持ち続けてきた。
先生の性格もいろいろ変わってきたように思う。謙遜な青年時代、ユーモラスな中年時代、無邪気で紳士的な老年期、多くのチャレンジが今を形造った。
先生は歌声の中に他者への共感、自身の感情、善良さ、感性を込めている。
先生は元気で変わらない素直な心持ち、時には楽しく大笑いし、時には感動して涙をこぼす。厚さも暖かさもある方である。


このシーンをどう表現すればいいだろうか?
谷村先生も想像できなかっただろう。
あちこちからやってきた知らない人々が一軒の居酒屋に集まって、酒を飲みながら、「昴」を感情深く歌った。笑ったり、泣いたり、抱き合ったりする。
ライブで、手の中に何も持っていない観客たちが感情をどう表現すればいいかわからない時、まるで約束したように一斉に携帯の光源を照らして、舞台に向けて振りながら、歌を歌った。数千人の声や感動が合わせて、星の海になった。
先生にはヒット曲はたくさんありますが、「昴」には卓越な力を持っていて、数えきれない人々の心を引かれた。この出会いもまた奇跡の一種である。
なぜなら、出会ったことで先生の歌の中から頂いた感動、音楽に対する、美に対する、先生本人に対する愛が広がって、もっといろんな人が先生のことを知り、愛し、彼の音楽の果実を味わえるからだ。

知恵と才能の魅力が性別、年齢、時空を越えることができる。若い人、高齢の方が彼を見た瞬間、彼を敬愛することで心が揺り動かされる。朝でも、旅の中でも、物静かな深夜でも、一人で彼の歌声を聴きく。
子の曰わく、老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐けん。谷村新司さんがそれを足り遂げました。

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