アリス・ヤングジャパン時代・借金1億5000万円!

立ち上げた当時のヤングジャパンには、「アリスというバンドはすごくいい。とりあえずたくさんの人に聴かせれば勝てる」という思惑があった。最初は名前も知らないバンドなので、どこも呼んでくれない。「よし、交通費を自費で負担して聴いてもらおう。それで良かったら、次は交通費を出してもらおう。もっといいと思ってくれれば今度はギャランティーを出してくれる。」   
それを小まめにやろうというので、年間150~160本のステージをやり始めました。ただその時代というのは、なかなか大きなお金が動いてこなかった時代だったので、またしても細川健がいろいろなことを考えるのです。
それで、まとまったお金をつかんで東京に出たいという細川の思いがあって、まず最初に「外タレを呼ぼう」ということになりました。当時レッド・ツェッペリンだとかがブレイクしていたころに、矢沢透に何気なく相談しました。ところが矢沢透はリズム・アンド・ブルース出身なので、「アメリカでナンバーワンってだれや?」と聞いたときに彼はもう躊躇せずに「ジェームズ・ブラウン」と言ったんです。「よし、じゃあジェームズ・ブラウンを呼ぼう」ということになって…、実は日本に最初にジェームズ・ブラウンを呼んだのはうちの事務所だったんですね。そして大阪のフェスティバルホール、これが2500人のホールに観客200人、という悲惨なこけ方をしまして…。その時にひどく借金がかさんだんです。
 で、その時のことを僕が深夜ラジオで話したのを「こちとら自腹や!」の井筒監督が当時聞いていて、もう公開された「ゲロッパ!」という映画の中の冒頭シーンで、西田敏行さん扮する親分と岸部一徳さんのセリフの中で、「最初にジェームズ・ブラウンが来たのはいつやったっけ?」と言った時に、西田さんが「谷村新司が呼んだ時やから、何年やろう?」という会話が出てくるんですね。 
だから、その事を井筒さんが知っていたということに僕自身がすごくびっくりしたのですけれども、僕のラジオマニアだったというのを後に聞かされて、「ああ、なるほど」と思って納得しました。
膨らんだ借金を取り返すためにと、また細川健の無謀な冒険がありまして、「人間の本能に根差したイベントをせんとあかん。せや、ストリップや!」と突然彼が叫び出して、何か危ないなと思っていたんですよね…。
当時、小さな事務所を借りていたんですが、ある日仕事から帰ってくると金髪のお姉さんが20人ぐらい事務所の床に座ってタバコを吸っていました。「これは何だ?」ということになりまして、細川に問いただしたら、「パリにあるカフェ・ド・パリというところで踊っている踊り子さんを、(どのようなルートかわからないけれども)みんな連れてきた。日本で興行を打つ」と。でも興行を打つといっても場所がないので、やれるとしたら当時はストリップ劇場しかないだろうということで、交渉に行ってくれと言われました。忘れもしない、大阪のストリップ劇場へ交渉に行って、とりあえず1回やってみてお客さんの反応を見ようという事になったんですけど、当時のカフェ・ド・パリの踊り子さんたちというのは、ただ踊りを見せる。でも当時の関西というのは割と全共闘のような時代だったものですから不評不評で、すぐにダメ出しされました。無駄に女の子たちが事務所に寝泊まりしている、1日1日のギャランティーはかさむ。それが1カ月近くで、またえらい借金がかさんで、彼女たちは帰っていった。もう雪だるまのように、自分たちの音楽と全く関係のないところで事務所が借金を背負っていったんです。

 その後、細川が一大勝負に出ました。「よし、こうなったらみんな、船に乗って休暇を取ろう」というような話で、おそらく「船に乗ってボンヤリしたいよなぁ」と誰かが言っていたのを聞いたんでしょうね。2、3日後に船を借りて、それがサクラ丸という大きな船で、そこに当時ブレイクしていたガロを乗せる。そこにアリスも一緒に乗って、グアム・サイパン・ミュージッククルーズ敢行ということになりました。たしか神戸から船が出たんですけれど、ガロは関西ではあまり人気がなかったんで、結局お客さんが半分ぐらいしか来なくて、前金を払える、払えないで、船が出る、出ないという話になりました。クルーズに参加した人はもう船に乗っているのに船が出れないというような状況になって、とりあえず借金をして船を出しました。ガロは忙しいので、グアムに着いたらそこから飛行機で東京に帰ったのですけれども、アリス、バンバン、ザ・ムッシュという自分のところのバンドは船底にみんな寝ていました。帰りは船底で生活をしながら船の中でステージをやる。それでお客様は喜んでいるから、まあええかみたいな感じだったんですけど、神戸に近づいた時にグアムから緊急電報が入って、「グアム島でコレラが発生した。サクラ丸船内で、下痢・発熱の人がいればチェックしてください」という連絡が入って、調べたら一人だけ下痢・発熱がいまして、それがなんと自分だったんですね(笑)。
神戸沖で船が停船させられ、自分は地下の船底の水のたまっているプレハブに隔離・監禁されました。高熱が出ていて、「ああ、おれはここで終わるのかなあ」と思っていた時に、立ち入り禁止のはずのその部屋に細川健が入ってきて、熱のある自分の頭に冷たいタオルを替えてずっと看病してくれたのです。その時僕は「入ってくるな。もしコレラだったらお前まで死んでしまうから、来るな」と言ったのですけれども、その時に細川が言った「ここまで一緒にやってきて、一人だけ生き残ってもしょうがないやろ」という台詞に、僕はすごく「ああ、こいつと生きてきて良かったんだな。いろいろなことのあるやつだけれども、いい男やな」と思った。そうしたらちょうど2日後ぐらいに急に熱が下がってきて…コレラと症状がほとんど一緒だったんですが、過労による下痢・発熱だというお医者さんの診断が下りて、やっと船は神戸港に入れた。
 ジェームズ・ブラウン、それからカフェ・ド・パリ、グアム・サイパンの3つ合わせて1億5,000万円という借金を背負って、その当時のアリスは全国を走り回っておりました。

コメントみんなのコメント

大変な時代だったのですね。

「グアム・サイパン・ミュージッククルーズ」の募集をセイヤングでされていたのを覚えています。
当時から谷村さんに恋い焦がれていた、ひとりです。
参加したかった、、、でもそんな私は、神奈川県に住むレコード買うのもやっとの中学2年生。
後にクルーズの写真集がでましたよね、買いました!

地元のコンサートにも行きましたよ。
1・2列埋まっただけの会場でしたが、目をハートにして見つめていました。

  • 2009.06.21
  • ひろこ さん


昔、年間300近くコンサートを行っていた記憶があります。修羅ですね!
でも。男って、何かいつか修羅場があって、それを超えて大きくなるのではないかと思います。私も52歳今から、音楽をする事は、非常なる決意です。
貴方が北京の講師になり、アリスを再結成した事、有意義だと思います。
かつて、アリスは、航空母艦とお話し
なさった事を昨日の様に覚えています。私も頑張ります、アリスの再結成
おめでとうございます。かしこ・

  • 2010.02.28
  • 横山 透 さん


見終わった時、涙を流してしまいました。先生が若い頃されたご苦労を想って・・・。

看完后我流泪了,为年轻的先生受到的磨难,正所谓‘好事多磨’,经过风雨的洗礼,岁月的历练,才有了先生今日的成就。

  • 2010.07.01
  • unknown さん


James Brown を最初に呼んだというエピソード、もう何十年も前に谷村さん名義かアリス名義で出されていた書籍・文庫で読んだことを非常に強烈に覚えています。1971年だったんですね。

実は James Brown ファンの間でも、この話はかなり有名で、それがいつだったのかよく話題にのぼるのです。

もし差し支えなければ、大阪フェスティバルホールに James Brown を呼んだ時の正確な年月日を教えて頂けないでしょうか。このページの本来の趣旨と離れている質問だとは思うのですが、どうぞよろしくお願い致します。

  • 2011.03.02
  • Shaolin さん


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