ヨーロッパ三部作の旅 ~ロンドン・パリ・ウィーン~

1988年はターニングポイントです。歌を歌う人間にとって究極というとアカペラ、つまり無伴奏で歌うこと。そしてもう一つはシンフォニーをバックに歌うこと。谷村は88年からシンフォニーとの共演を試みます。3年間でヨーロッパ三部作を作ろう、と。 
まずロンドン交響楽団とのレコーディングをやろうと動き始めます。スタッフの力が本当に大きかったと思うレコーディングで、特筆すべきことは、海外のシンフォニーとのコラボレーションをしたということもそうなんですが、当時の「獅子と薔薇」というアルバムのレコードジャケットを、今は亡きアンディー・ウォーホールのチームがデザインしているということですね。アンディー・ウォーホールは88年にはもう亡くなっていましたが、彼の右腕プリンターのルパート・スミスが僕に興味を持ってくれて、このジャケットを仕上げてくれた。
次の年にルパートはエイズでこの世を去ることになり、アンディー・ウォーホールの匂い、というのはこの年で実際には消えてしまったのではないかと思うので、このアルバムというのは、いろいろな意味で大きなアルバムになったのではないかと思っています。
 89年は、フランスのパリに渡りました。「輪舞-ロンド-」のレコーディングがフランス革命の200年祭、エッフェル塔の100年祭とぶつかるというタイミングであり、パリのオペラ座のオーケストラと共演したのですけれども、この時のレコードジャケットを担当したのがなんと、ティエリー・ミュグレー。パリのファッション界では鬼才として知られる彼をカメラマンとして起用して一緒にやったんですね。彼はパリコレもそこそこに、カメラマンとしての仕事に燃えてくれて、このレコードジャケットを完成させてくれました。
 そして90年、本当はこの年はイタリアに行こうと思っていたんです。イタリアのミラノのスカラ座と共演、というのを考えていたんですが、ダメもとでベルリンフィルとウィーンにオファーを入れていました。そうしたら、ウィーンのVSOP、ビエナ・シンフォニー・オーケストラ・プロジェクトというウィーンフィルとウィーン交響楽団のピックアップメンバーで作っているチームがあって、そことやれそうだという事になり、ウィーンに飛びました。アルバム名は「Price of love」、これの絵は和田誠さん、デザインを浅葉克己さんという豪華な組み合わせで作りました。
この90年はウィーンでレコーディングをして、ミキサーがフランクというドイツ人だったので、トラックダウンをミュンヘンに持っていって一緒にやっている時、ちょうどベルリンの壁が壊れるという瞬間に遭遇して、臨時ニュースを聞いてフランクたちと抱き合って、「よかったね、よかったね」と言っていたのを覚えています。
 その年、アルバムを引っ提げて、ビエナ・シンフォニック・オーケストラ・プロジェクト、100人のオーケストラを日本に呼び、全国ツアーを敢行しました。そしてその年の秋に、「ウィーンのクラシックの殿堂、コンチェルトハウスで凱旋公演をしたい」とそのオーケストラのメンバーから言われて、「じゃあ、やろう」ということで初めてアジア人として、コンチェルトハウスのステージに立ったんです。みんなクラシックの連中だったんですが、僕らとやって、ポップスという音楽がどれほど楽しいかということに彼らも気付いてくれた。それは、VSOPの指揮者として、またアレンジャーとしても優秀なクリスチャン・コロノビッツと出会えたから実現した出来事であった、と思います。
そのウィーンの打ち上げの、ホイリゲという酒場から外に出て空を見上げた時に、90年の空を自分が見上げているということに気付きました。そしてまた、日本での活動が始まっていくわけです。
 
後にホセ・カレーラスとトヨタスタジアムで一緒に歌った時に、リハーサルで彼と話をしていたら、クリスチャン・コロノビッツはホセ・カレーラスにも曲を書いていたんですね。「ええ? じゃあ、クリスチャン・コロノビッツを知っているんだ」ということで、カレーラスと意気投合したというのもあって、「ああ、やはり縁があって、皆つながっていくんだなあ」と思いましたね。

Tour

  • 1/17
    コンサートツアーCORAZON Ⅱ スタート

  • 9/18
    ロングリサイタルCORAZON Ⅲ -A STORY BEGINS-

  • 11/26
    ASIAN MUSIC SCENE`88 PAX MUSICA in SINGAPORE

  • 12/7
    ディナーショー全国ツアースタート

Event

  • 12/31
    紅白歌合戦に出演『群青』で個人別視聴率62.8% で2年連続1位になる

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